「自分を律する」 と言葉にすると
杓子定規で、とてもお堅い感じがするけれど
社会のルールを守ることが
基本的な 「自分を律する行為」 なのだから
難しいことではない
駐車禁止の道路に路駐したり
歩行喫煙禁止の歩道を
たばこを掌に隠しながら、、「隙あらば」・・・
と思っているような人もいて
社会の規範すら守れないのかな・・・
という人もいらっしゃるけれど・・・
浮気だの不倫だの、というのは
その中でも最たるものであることくらい
誰でも分かっているんだと
その壁を乗り越えてしまうことが
自分を、家族を、追い詰めることになるんだと
分かっていながら
その壁を乗り越えてしまうのは
もう、社会のルールとか
自分を律するとか
制御しなければならないことを制御できなくなるくらい
人を好きになる・・・ということなのだろうか???
夫になったり、父親になったりすれば
自己の責任は自ずと重くなるはずなのに
その責任を放り投げて
好きな人との楽しい道を選ぶのは
それはそれで辛いものがあるのかもしれない
「人を好きになる」気持ちは
そう簡単に打ち消すことはできない
理性に勝るパワーがあることは私にだってわかる
それは理解できなくもない
でも、だったら
中途半端にどっちつかずではなく
子供たちへの責任をきちんと負い
妻への説明とお詫びと
今後の対応を約束して
次の道へ進むべきなのが人の道ではないのか
それすらしないということは
「いつか元に戻るかもしれない」
「戻りたくなったら帰れるかもしれない」
という甘えの現れなのだと思う
甘えている間は
大人になりきれていないのだ
だから 『不倫』 になってしまう